想像すらも越えた世界

楽しまなきゃ損じゃない?

気付いたら沼に足を突っ込んでいた話

とりあえずは、このジャニーズとは縁の程遠かった私がいかにしてV6のファンとなるに至ったかをものすごくどうでもいい個人的なエピソードとともにだらだらと振り返ろうと思う。

 

 

思えば小学生の頃の私は非常に淡白な人間で芸能人に興味を持つこともなく、そして母が基本的にテレビのリモコンの主導権を握っていたためにテレビを見ていた記憶もそんなになかった。

 

そんな私も周りの友達がやたらと話題に出す『学校へ行こう!』なるものには多少の興味はあったがやはり母に逆らってまで見ようという気も起こらず*1、V6ファンを自覚する2年前(2013年秋頃)までその番組の主な出演者が誰だったのかさえ知らなかった。*2

なのに小学生の分際で「愛してるゲーム」なんかを元ネタも知らずに男女入り交じってやっていたもんだから笑える。

 

ところが最近ふと思い出したのがそういや母は『伊東家の食卓』のヘビーウォッチャーであり自分もこれだけは毎週欠かさず見ていたということである。

しかも岡田くんが出た時紹介した変な裏ワザ覚えてんの!試したこともあんの!岡田くんは覚えてないけど!なんでやねん!

さらに記憶を手繰りよせると、特に出演者に興味はなかったもののそれでも1人すんごいカッコイイ人が混ざってるなんかこのお兄さんだけすげー輝いてると思っていた記憶に行き着いた。そう、実はこの時すでに6人のうちの1人には恋*3をしていたらしいのである。これに気付いてしまった時の私はもうなんか、あぁこれが運命か、ああぁなんであの時っ...#%&*$¥=&&%!!!となったのは言うまでもない。

 

 

その後中学生となった私は相変わらず芸能人どころか身の回りの男友達にさえ興味を抱かずつまらない世をちょっと儚みながら生きていた(若干の厨ニ病こじらせてる感)。友達に薦められるままに2次元の世界にどっぷりと浸かり『図書館戦争』という本に出会ったのもその頃である。

 

その頃、周りでは嵐ファンが増え、ファンでなくとも誰でもメンバーの名前くらいは言えるという中、私だけは本気でナニソレおいしいの状態だったのに危機感を感じ、友達の話題についていこうとそれはもう動画を見まくったこともあった。しかし彼らが仲良しでおもしろいことに興味を持ったもののコンサートに行きたいとかファンクラブに入りたいとか考えもしなかったのは今思うと若さゆえに誰かを応援することの良さなどを理解しきれなかったためであろう。

 

 

そのまま高校に入って私は人生で初めて芸能人(アーティスト)に興味を持つ。とはいってもまだV6は登場しない*4。私が当時興味を持ったのはスーパーパフォーマンスグループというくくりのAAAで、男女混合グループなのにとにかく激しく踊る上に生歌が綺麗なことに驚き、下積み時代などを乗り越えてきて努力する姿に感動し仲の良さにも感動し*5、応援しなくちゃと思った。ただこの頃はようやく自分にも周りの友人のようにハマるものができそうとウキウキして無理矢理ハマった感が否めない。今でも曲はよく聴くけども。

世間ではジャニーズが注目されてるけどほんとにそんなにすごいかぁ!?とこの頃思っていたこともここで土下座と共に報告しておく。あの頃の自分をフルボッコにしたい。ごめんなさい世界。

そんな頃転機が訪れた。中学生の頃から好きだった『図書館戦争』が映画化されるということでこれは見なくてはいけない。キャストはよく知らないけど堂上教官かっこいいなこれは期待大だ。そんな気持ちで映画を観た後、私は絶賛岡田准一月間に突入する。しかしこれまた思い返せばただただあの頃の私を殴りたいことに、岡田准一月間は本当に1ヶ月で終わってしまった。受験生だったということもあったのだろうが、今思うとその一ヶ月ではひたすらにカッコイイ俳優岡田准一にお腹いっぱいになりV6の岡田准一にたどり着かなかったというのが敗因だと思う。そこから年末までの数カ月間のブランクというものは何度悔やんでも悔やみきれない。 

その年の冬『永遠の0』が公開され、友達に行こう行こうと誘われつつも受験生であったため観に行けず*6、かわりにふと春先岡田准一さんにハマっていたなぁと思い出した私。勉強漬けの現実から目をそらすように再び岡田さんを調べているうち、かの有名な「北海道6人旅」にひっかかってしまい、ころころとV6の沼に転がり落ちました。ここへきてようやく小学生の頃流行っていた『学校へ行こう』が彼らの番組であったことを知り、V6というグループとそのメンバーを正確に認識したのもこの時であるのが非常に恥ずかしい。

 

 

それでも当初は面白い人たちだなぁくらいで、こんなにハマるはずではなかったのですが、ライブDVDに手を出したあたりから何かがおかしくなりました。ジャニーズでも特に身体能力や歌唱力が高いとの評価をいろんなところで読みましたが百聞は一見に如かず。もうあとは落ちるとこまで落ちるのみでした。年齢なんて関係なく死ぬほど踊り歌い続けるV6。アイドルの域を超えたパフォーマンス。これがプロか。新しいものを創りだそうとするアーティストという名がふさわしい、と思った。汗を流してこちらに手を振る姿が美しかった。

そして彼らがこのレベルに達するまで多くの困難があったことも苦労続きの日々があったことも知りました。そんな中それぞれが自分の道を見つけ、支え合い努力し続けてきた6人が、言葉では言い表せないほど輝いて見えました。

ちょうどその頃、自分の将来についていろいろと迷っていたのもあり、大人な彼らを尊敬の眼差しで見るようになりました。それからしばらく彼らの努力を思うだけで泣けてくるような日々が続きました*7

あぁ、私が求めていたものはコレかと。

私はV6のファンになったのかと自覚した高3の冬(センター試験1ヶ月前)。

 

 

なんでV6なのと聞かれることは多々ありますけど、理由なんてそう簡単に一言では言えないというか、始まりはただもうなんかスルスルっと吸い寄せられたかんじだったんだから、仕方ないとしか言えないというか。

過去の雑誌などで、カミセンの3人が自分達の出会いを奇跡的であり必然的でもある(ニュアンス)と言っていることがたまにあって、本人達がそう言うんなら、私がV6に出会ってファンになったのも必然的なことだったと思うんです。V6に出会うまで周りにいろいろ勧められても特にアイドルに興味を持てなかったのは、V6が私にとっての最初で最後のアイドルだったからなのかも知れません*8

 

以前何かの本で、人に薦められたりして出会ったものは運命ではないが、自分から何かを感じて興味をもって出会ったものは運命である、みたいな文章を呼んで震えました。まさにそれ。ほんとそれ。避けられない運命だったのね.......っっ....!!!(ラブセン風)って思いたくなる。

 

 

以降V6を調べると自然とジャニーズの先輩後輩についても少しは知識が増え、皆さん頑張ってきたんだなぁ、今まで偏見だらけでごめんなさい、と思うようにもなりました。

 

でも私は今のV6だからこそ好きになったのかもしれないとも思います。20年前でもなくデビュー10周年でもなく、年を重ねて今のV6になったV6が好きなんだろうと思います。

 

そんなこんなで日々6人を愛でて今日まで生きてきたわけですが、当初はまだ本当の担当と言えるような存在がいませんでした。ジャニヲタ初心者としては担当制度が訳わからなかったし、というかわざわざ1人選ぶ必要あるのか?とか思っていたし。始まりが岡田さんだから岡田担なのかなーぐらいのかんじで。そんな私が坂本昌行さんというさらなる沼に足を突っ込むお話は長くなりそうなのでまた次回。

 

*1:バカだー!私バカだーー!!見て!そこは見て!!逆らってでも見てー!アホか貴様〜!

*2:のちにこのことを母に抗議したら「はぁぁぁ?『学校へ行こう』も『VVV6』のVシュランも夜な夜なカップ麺すすりながら見てたわ!あんたよりこいつらのこと知っとるわ!!」と返り討ちに遭い愕然としたのはまた別の話。

*3:小さい頃の憧れだか恋だかよく分からんけどとりあえず気になるみたいなアレ。なんなら初恋なんじゃないかと思う。

*4:この頃オタク界隈ではセクバニコンに騒然となっていたことを思うと悔しくてたまらない

*5:この点、V6と心惹かれたものが若干似ている気もする

*6:ありがたいことにロングランヒットしたおかげで、受験の終わった3月に観に行くことができ、始めから終わりまで泣き通した。

*7:幼少時から母に努力家になれだのヘレンケラーみたいに努力しろ(?)だの言われて育ったものですから、結局自分はそうはなれなかったけど努力というワードにはめっぽう弱い。

*8:これから先長いけど。人生何が起こるかわかんないけど